神戸にしむら珈琲ストーリーNISHIMURA STORY
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珈琲物語の始まり
神戸北野のハンター坂の南角。
テーブルがたった3つのちいさな珈琲店がすべての物語の始まり。
1948年、太平洋戦争が終わって3年後の日本では、珈琲豆のかわりに大豆の“代用コーヒー”にしかお目にかかれなかった時代。
そこに“誇り高き極上の一杯のコーヒー”を呈してくれるたった一人の女主人の店。
その店の名は「にしむら珈琲店」。
この一杯のコーヒーに込められているのは、無数のイマジネーション。
ブルーマウンテン、キリマンジャロ、モカ・・・ブレンドにするのはもったいない程個性をもつ一級品。
上等の豆特有の豊かな風味をストレートに味わっていただきたいオーナーの想いが、日本のコーヒー界に初めてストレートコーヒーというメニューを提案。
アイデアは広がり、初めてのストレートコーヒーの他、カプチーノ、ヴィエナコーヒー、コーヒーゼリー・・・にしむら珈琲店は業界のパイオニアとして大きな役割を果たします。
一杯のコーヒーの感動と満足が、昭和39年に初めて登場して以来のトレードマーク的存在の肉厚のコーヒーカップに込められています。
風見鶏と神戸ポートピアの賑わい
『風見鶏』(かざみどり)は、1977年(昭和52年)10月3日から1978年(昭和53年)4月1日まで放送されたNHK連続テレビ小説第20作。
大正時代にドイツ人パン職人と国際結婚した女性が、神戸市でパン屋を営み、やがて多くの人々から慕われていくまでを、国際色豊かに描いたドラマでした。
ヒロインの夫は同時代に実在したドイツ人パン職人・ハインリヒ・フロインドリーブ(フロインドリーブ創業者)をモデルにしています。
この作品がきっかけとなって、舞台となった神戸市の北野町山本通にある異人館街が一躍脚光を浴びることとなり、「異人館ブーム」が起きました。
中山手本店の北隣にあったフロインドリーブでパン、ケーキを購入されたお客様が、
その足でにしむら珈琲店にご来店、店内でもフロインドリーブのケーキを召し上がる事が出来た時代でした。
時は流れて1981年、ポートアイランドの完成を機に、地方博覧会としてポートアイランドのまちびらきに合わせて開催された博覧会は「海の文化都市」の創造に向け、海と文化や海と都市の関係を作り出すことを理念とした。
会期中は1,610万人の入場者があり、この博覧会の成功は、1980年代後半の「地方博覧会ブーム」の火付け役となり、神戸市は都市経営のモデルとして「株式会社神戸市」と称されるきっかけとなる。
また、まちびらきに合わせて地方博覧会を開催するという手法は、1989年に横浜みなとみらい21地区で開催された横浜博覧会 (YES'89) でも踏襲された。
この博覧会を機に、兵庫県内外を問わず、また海外からもたくさんの観光客が、にしむら珈琲店を目的地のひとつとしてご利用いただけたきっかけとなっている。
“コーヒータウン” 神戸の歴史が詰まった、地元で愛される喫茶店
およそ150年前の神戸港開港とともに、いち早く西洋文化を受け入れてきた神戸。
この街から広がった、舶来の新たなもの・ことの数々の中に、コーヒーがありました。
明治時代からコーヒー豆の輸入が始まった神戸では、全国でもいち早く提供する店が登場しました。
また、多くのコーヒー焙煎業者が街に根づき、街を歩けば「~珈琲」といった看板をよく目にしました。
開港以来、食文化の一つとして、また地場産業として縁が深いコーヒー。そんな、”コーヒータウン”神戸の歴史をひもときながら、今も独自の喫茶文化を発信する喫茶店があちらこちらに残っています。
太平洋戦後になると、街の復興とともに、コーヒーに様々な趣向を打ち出した喫茶店が現れました。
1948年(昭和23年)にいち早く開店したのが、いまや神戸を代表する喫茶店としてご愛顧いただいている「にしむら珈琲店」でした。
テーブル3つだけの小さな店から始まり、4年後に現在の中山手本店の場所に移転。
「にしむら珈琲店」といえば、酒処・灘の名水「宮水」で淹れるブレンドコーヒーが定番ですが、実は日本で初めて産地ごとに豆を淹れ分ける、ストレートコーヒーをメニューにのせたことでも知られています。
産地ごとの個性を楽しめる、約10種を揃えるストレートは、コーヒーが早くから広まった街だからこその趣向でした。
また、1974年(昭和49)には、日本初の会員制喫茶店を開店しました。。
創業者の自宅1階を改装し、海外から取り寄せた調度品や、自ら木彫した家具などを配した重厚な店内は、今でも他の支店とは一線を画しています。
演劇を愛した創業者は舞台関係者との親交深く、山田五十鈴、杉村春子、田辺聖子、美輪明宏、大竹しのぶといった演劇・映画界の名優、神戸生まれの映画評論家・淀川長治をはじめ、各界の名士、著名人が会員に名を連ねていました。
阪神・淡路大震災以降に一般にも開放され、当時の贅沢な雰囲気を今に伝えています。
氷を丸ごとくり抜いて器にしたアイスコーヒー(夏季限定)など、会員制時代の特別なメニューが味わえるのも、”特別なにしむら”ならではの楽しみです。
阪神淡路大震災を乗り越えて
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による「阪神・淡路大震災」の際、中山手本店は内壁、外壁の煉瓦が倒壊し4か月あまりの休業を余儀なくされました。
御影店も建物に被害を受けましたが、駐車場を使って残っている食材をすべて、近隣住民の皆様へ炊き出しをさせていただきましたところ、常連様を中心にたくさんのお客様から義援金や励ましのお言葉をかけていただき、5月17日にユニフォームもそろわないまま、当初は珈琲のみの無料開放することで再オープンが出来ました。
また中山手本店は半年後に修復工事を経て6月1日に営業を再開いたしました。
修復に際して、建物には鉄骨を入れる補強工事が施されたが、老朽化も合わせて鑑み、2005年から2006年にかけて、当初のイメージ外観を残しつつ、新たに5階建ての建物が新築されました。
さらに会員制喫茶店であった北野坂にしむら珈琲店は、震災を機に広く一般客にも開放されるようになり、現在に至っています。
ハーバーランド店もこの震災を機に、ノーススモール5階の場所から現在のキャナルガーデン1階にリニューアルオープンしている。
昭和、平成、そして令和の珈琲生活へ
coming soon...